リムーから隣町アレ・レ・バン(Alet les bains)

リムーから車で15分ほどのところにアレ・レ・バンの町がある。
今回の旅はリムーの骨董市がメインイベントだったのだが
それだけで帰ってしまうのはもったいないよね。ということで
旅の前にいろいろネットで調べてみると
この辺りには素敵な小さな村がたくさんあることがわかったのだ。
そのひとつがここ。
本当に小さな村なのだけれど、目の前に見えている映像をモノクロにしたら
たちまち中世の映画の世界。
小さな路地裏には窓辺に観葉植物が並べられ
レース編みの繊細な模様のカーテンがかかっていたり
キッチン用具が不思議な窓から見えたり
ネコちゃんがドア近くでお腹を見せて気持ちよくお昼寝していたり。
そんな日常のほんわかな時間を見られるのも散歩の醍醐味だ。
それにしてもフランスの窓辺っていうのは
どうしてこんなに素敵なんだろう。
つくづく思うのである。

この町には修道院の大きな遺跡がある。
あまり歴史には興味がないし、普段旅に出てもほぼ見学しないのだが
圧倒されるような雰囲気があったので入ってみた。
もう、部屋も何もない、ほぼ骨格だけが残っているような感じなのだが
いろいろ想像してしまう。
ここはどんな場所だったのだろうか?
この窓から何を見ていたのだろう。
この溝は何?
とか。

この町の名前のAletは水の意味があるそうで
ネットの情報によるとアレレバンの水は
フランスで最も古くから販売されているミネラルウォータのひとつで、
120年以上前に最初に瓶詰めされたそうだ。
フランスで最大の水源のひとつということらしい。
実はこれ、旅の後に知ったことで
あぁ、水 飲んでおけばよかった〜。

町の情報などはこちらへ
Alet les bains

上の情報にあった動画がこちら。
上空から見渡すとこの町の良さがとってもわかるのだ。
私の写真ではこのスケール感がとっても難しい。
とっても魅力的なところなのでぜひ見てみてね。

ハートの形の木。

リムーの骨董市へ

さぁ、いよいよ骨董市へ!
どんなモノとの出会いがあるか、楽しみでワクワクする〜。
会場に到着するまで欲しいモノをとりあえず頭の中で整理しておくと
経験上、いい出会いがあることが多い。
もちろん、思ってもいないモノとの出会いも最高に嬉しいものだ。

ボンジュール。と笑顔で言うと
ボンジュール。と笑顔で返事が返ってくる。
このあいさつが好きなのだ。

家具も素敵なのがあったけれど
こればっかりは大きすぎて持ち帰れない、、、。
いつもの骨董市とは違うので、目新しいものばかり。
しかも、お値段がスペインより安いではないか、、、。
そして、かわいくて素敵なモノが多い、欲しいものが多すぎる。
あぁ、できれば毎月いきたいくらいだ。

夫も私も両手いっぱいになるくらい
もう、これ以上は持てないっていうくらい買ってしまった。
ここのところ、あまり買ってなかったので
その反動もあったかもしれないが、
宿泊先まで20分くらいの距離を夫婦で荷物抱えて、てくてくと歩いたのだ。
歩きながら、どんな風に飾ろうか。どこに置こうか。どんな風にしたら映えるだろうか。
そんなことを考えるだけで嬉しくてワクワクしてしまう。
もしかしたら、一番の至福の時なのかもしれない。

ただ、ちょっと気になるお皿が2枚ほどあったのだが
今回は買わずにやめておいたのだけれど
実はこれが、今でも忘れられないのだ。心残りのお皿たち。
あぁ、またどこかで出会えるだろうか、、、。

昔のバスタブ。入り心地を確かめているおちゃめな人。

魚料理から骨董市に変更しちゃった

おいしい魚介料理が食べたいね。と夫と夏休み前に話していて
だったらスペインのガリシア地方に行こうと計画していたのだが
フランスの骨董市にも行きたい、、、ということに
急遽、バルセロナから近いフランスはLimouxリムーへ行くこととなった。
我が家からだと3時間半ほどで行ける場所なのである。

Limouxの町には川が流れていて大きな橋がいくつかあり
その中でとても古い橋(ポン・ヌフ)からの眺めが美しく
何枚も写真を撮ってしまった。
朝も昼も夜も、橋からの町の姿が魅力的なのだ。
夏休みのせいか静かな町ではあったけれど
町の中心にある広場のレストランやカフェはランチタイムや夜の食事時になると
席が満たされるほどの賑わいで彼らがしゃべるフランス語のサウンドが
風にのって心地よく感じられた。
町の建物は風情があり、とても古くて味がある。
こういう建物がたまらなく好きだ。
写真集や映画で見たような古くて人間性を持ったかのような
物語を感じる建物なのだ。
小さな町ながらも、ギャラリーがあったり、アトリエがあったり
大きなパレットの看板を出しているお店もあり
アート系の人が結構住んでいるのかと想像する。

この町を起点として
近所の町を転々と訪ねるのもいいと思う。
というのも、ここLimouxはワインの醸造所が点在しているところなので
ワイナリー巡りが楽しめるという訳なのである。
また、ウィキペディアによると発泡ワインの発祥の地で
シャンパンで有名なシャンパーニュ地方よりも先に
1531年修道僧により偶然発明されたのだそうだ。
レストランに入れば、その土地のワインが飲めるし
ワイン好きの方にはとてもおすすめの町なのである。

この続きはまた後ほど。

どんどん増えるよ

私のランチはだいたい冷蔵庫の残りものだ。
週末に夫が作ったパエリヤが残ると、かなりうれしい。
冷蔵庫に入れておいたので、それをフライパンにオリーブオイルを入れて
焼き飯にしてみた。
今日はとっても豪華なお昼ごはんなのだ。
魚介の出汁がたっぷりとしみておいしかった。
ちょっと味に変化をつけようと思い
すっぱくてしょっぱいキュウリのピクルスを刻んで入れたら
これがアクセントとなって大満足の料理になったのだ。

さてさて、夏は植物が成長する時期で
部屋の中で育てているものでもっとも大きいのがモンステラだ。
6月に鉢をひとまわり大きいものに変えたら
葉っぱの緑色がより深い色となり、それだけで満足していたのに
あれよあれよと急成長した。
葉っぱは5枚だけだったのに、たった一ヶ月半の間で
7枚もの葉っぱが生まれてきてしまい
うれしい悲鳴を上げているところだ。
どちらかというと上に伸びて欲しいのだが
横に伸びる。
ネットで調べてみると、太陽の方向に向くらしいので
その特徴を使ってバラバラな位置にある葉っぱを
もう少し揃えたいと思っているところである。

ベランダにある植物に関しては
去年植えたコスモスの種があっちこっちに散らばって
いろんなところに生えてしまったのだが
猛暑で葉っぱが茶色くなってしまい、枯れているようなのだが
上の部分だけは緑色をキープしていてなんとか生きてくれている。
ありがたいことだ。
ありがたいといえば、我が家のベランダに
小鳥たちが種を落としていくことがときどきある。
春に芽を出した何かが、今では私の身長と同じ大きさの木になっている。
その木の名前はわからないのだが
買い物へ行く道すがらに見かける
高さ5メートル、直径50センチもある大木の葉っぱにそっくりなので
おそらくこの木だろうと思われる。
怖いような嬉しいようなそんな気持ちだ。
ただ、木が欲しいと思っていたので
小鳥さんからのプレゼントというのは嬉しいものだ。

日本はそろそろ夏休みも終盤という感じだろうが
我が家では夫が今週末から3週間の夏休みが始まる。
あれをしたり、これをしたり
あっちへ行こう、こっちへ行こうと
現在いろいろと計画中である。


漱石の中編小説のこと

夏目漱石の本は好きで今までも色々と読んできた。
十日ほど前から読み始めたのが「二百十日」という短編小説だ。
これが、今まで私が読んだ漱石作品の中では
ちょっと変わった雰囲気で
これから始まるんじゃないの?というところで物語は終わってしまったのだ。
主な登場人物は圭さんと碌(ろく)さんという成人男性で
この二人が火山活動中の阿蘇山へ登山へでかけるというストーリーなのだ。
実は2度読んでしまった。
というのも、先に書いたように続きがあるような終わり方だったから
どこかページを飛ばして読んでしまったのではないか?と思い
再度よんでみたものの、結果的にまた腑に落ちない終わり方だった。
どちらかというとこの物語は落語のようだと感じた。
実にそうなのだ。
ぜひ、これを落語でやってもらいたいものだ。
そのくらい、ちょっとギャグがところどころにはさんであって笑ってしまう場面が多い。
例えば、圭さんと碌さんが登山へ出かける前の宿屋での食事時の話
そこで働く女性に、ビールを注文すると
ビールはないけど恵比寿ならあるというのだ。
その後、二人はそのことを、「ビールじゃない恵比寿」と少しからかい気味に注文をしたりする。
それから、碌さんが半熟卵を注文すると女性はその意味がわからないようだったので
半分煮た卵のことだと説明すると、その後女性が持ってきたものは卵4つで
2つは煮たもの、残りの2つは生卵だったのだ。
いやいや、やっぱりこれ落語っぽいよね。
そして、この二人のことを
読んでいるうちに、ちょっとキャスティングしてしまったのだが
圭さんは堺雅人、碌さんは香川照之
この二人をこの「二百十日」に当てはめて
読みながら映画のように頭の中で動いていくのだ。ぴったり。
ただ、文中にあるように、実は圭さんは西郷隆盛のようなどっしりとした人らしいのだが
私の個人的なイメージではこの役者さん二人がぴったりなのだ。

ぜひ、興味があればこの二人の役者さんをイメージしながら
読んでみてもらいたい。

とにかく、これはどう考えても落語的な物語なのだ。
ちなみに、二百十日とは立春から数えて210日目の9月1日あたりのことで
台風が起こりやすい時期のことをいうらしい。

写真は10日ほど前の我が家から見える山の写真。光がとっても不思議だった。

今、夏目漱石の二百十日のWikipediaを読んでみたのだが、
なんとこれは実体験だそうで、圭さんは漱石自身だそうだ。
やっぱり、私のイメージ堺雅人でぴったりではないか。