やっと、あの教会へ

憧れの教会へ行けたのだ。
なんと、ワクチン接種の日にだ。

以前、Cardedeuカルデデウという町に住んでいた時
電車に乗ってバルセロナの中心地へ行く時に
5分ほど乗っていると
車窓から、この教会が遠くの方に見えるのだ。
素敵な建物。中はどんな雰囲気なんだろう。
その周辺はどんな町づくりになっているのだろう。と
ずっと、ずっと想像していたのだ。
ほぼ10年ほど、そんな風に思っていたところへ
ワクチン接種の会場がその教会の近くだということがわかり
接種時間よりも早めにその町に着くようにし
やっと、やっと行けたのだ。

思ったのは、建て方が日本のお城に似ていると思った。
残念だったのは、中が見れなかったこと。
ミサや特別なイベントがない限りは門が閉じられているようだった。

その教会の名はSanta Eulàlia de Mèridaサンタ・エウラリア・ダ・メリダ
もともと、この場所には古い教会があったそうだが、
この建物は19世紀に建てられたものだそうだ。

普通、教会は町の中心にあることがほとんどだが
この教会は住宅地に囲まれている。
行ってみるとわかると思うが、取り残されてる感じが
しみじみと伝わってくるのだ。

10年ほどの間、ずっと行ってみたいと思い続けていた教会。
ここには行けたけれど
そんな風に思い続けている場所は、まだまだある。
近いのに、徒歩では行けなくて
電車でなら行けるのに、中々行くチャンスがないところ。

きっと、いつかは行けるだろう。
思うことが大切だ。

石畳の通りがある古い街へ

近々、滞在許可書の更新があるので
その受付場所の下見に行ってきた。
わが町から電車で25分ほどのところにあるVICヴィックという街。
建物や通りに風情があって、大好きなところだ。

坂になっている石畳の通りはとても絵になる。
見ているだけで物語を感じるのだ。
映画のワンシーンのような、、、。
だから、つい写真に収めたくなってしまう。(そのわりには私の写真はイマイチなのだが)
これが、少し曲がりくねった石畳の坂道だと
さらにいいのだ。

バルセロナの中心地からだとサンツ駅やプラサ・カタルーニャ駅から
RenfeレンフェのR3に乗って行ける。
片道一時間20分ほどなので
日帰りで充分楽しめる。
車窓もとてもよく、田園風景やゴツゴツした肌の山が見えたりする。
とにかく、素敵な古い建築物がたくさん残っているので
建物に興味がある人にはたまらない場所だと思う。

そうそう、VICはブティファラなどの加工肉のソーセージが特産品として有名で
素敵なお肉屋さんが結構ある。
実はわが町もそういったものが特産品で
近所にはとても美味しいブティファラが置いてあるお肉屋さんがある。
ただし、高いので(我が家にとっては)特別な時にしか買わないようにしている。
安いブティファラはスーパーや肉屋にどこでもあれど
それは味がそこそこだ。
やっぱり美味しいものは高いのだ。
あちらこちらの肉屋で買い物をすると、いろいろ学べることがある。
そう、美味しいものは高いということなのだ。
長い列に並んででも、買う価値はある。
ということで、客が多いお店は美味しいということなのだ。


心配ごとはいろいろあれど

 

新年になったことはとてもワクワクするし
今年はこんなことをしよう。という抱負もある。
ただ、1月はワクチン3回目の接種もあるし
滞在許可証の更新もある。
特に、更新はかなり憂鬱なのだ。
これを乗り越えたら全身、全心が晴れ晴れする予定だ。

そうそう、クリスマス前に素敵なコートに出会ってしまったのだ。
ただ、当日は買わずに帰った。
お店からどんどん離れるにしたがって
どんどん、どんどん欲しくなってしまった。
いろいろ、いろいろ頭の中で考えて
やっぱり欲しい!あのコートを纏った私になりたい。
そこまで思った。思ってしまったのだ。
ところが翌日行ったら売り切れだった、、、のだけれど
作ってもらえるというので、注文をして帰ってきた。
それから2週間がたち、年末にやっと手に入れたのだ。
この出会い、偶然、必然、縁、運、、、。
デザインは、ぱっと見た感じはそれほどわからないけれど
よく見ると、とっても個性的なコート。
家の中では試着して何度も鏡の前でウキウキしてはいるのだけれど
まだ、外へは着ていない。
ウフフ、楽しみ。

洋服はもちろん着るのが好きだけれど
見るのも大好きだ。
映画やTVドラマでの俳優たちの着こなしを見るのが好き。
特にヨーロッパの20世紀前半くらいの服は見どころが満載だ。
それは服だけに限らず帽子やブローチ、ネックレスなどのアクセサリーも。
突然だが、私には嫌いなタイプの映画が2つある。
ローマ時代の男たちが戦う映画や宇宙未来的な映画だ。
どうしてそれらが嫌いなのか最近気が付いたのだけれど
それは洋服だと思った。
ローマ時代の戦う男たちの洋服はホコリ臭いし、色彩も汚い色で何の興味もない。
また、宇宙未来系の人間が着ている服は、だいたいが全身レオタードのように肌に密着して皆同じような格好だ。
この二つの系統の映画では洋服の見どころが全くないのだ。
だからこの手の映画に興味がない、ということがわかったのだ。
この分析は自分にとってはかなりの発見だ。
とはいえ、未来系の全身レオタードのようなデザインの洋服が映画の中では主流となっているけれど
どう考えても、未来はその方向にはいかないような気がする。
どちらかといえば、余裕のあるダボっとした洋服のデザインになっていくような気がするのは私だけだろうか。

ピスタチオ大好き

ハロウィンが終わるとスーパーマーケットの特設売り場が
たちまちクリスマスのお菓子売り場に早がわりするのだ。
バルセロナでクリスマス菓子といえば
何と言ってもトゥロンだ。

トゥロンで真っ先に思い浮かべるものは
ヌガーの中にアーモンドがゴロゴロと入っているものでとても固くて重いものだけれど
お店に並べられているのを見ると、いろんな種類のものがある。
チョコレートにナッツが入っているものも、トゥロンなのだ。これ、以前からちょっと疑問だったけれど、、、そうなんだ。
あっ、詳しくWikipediaに書いてある。
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現在のスペインでは「トゥロン」という言葉は意味が広がり、伝統的なトゥロンと同サイズ (奥行20cm・幅10cm・高さ3cm) にしたさまざまな菓子を指すようになっている、こうした新しいトゥロンにはチョコレート、マジパンココナッツカラメル、フルーツの砂糖漬けなどが用いられる。
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なるほど、そういうことだったのか。

そして、今年の私のイチオシがこのピスタチオのトゥロンだ。
まるで、シュトーレンを一切れずつ食べるように、
一日ひとつだけ食べて、クリスマスが近くなるまでを過ごした。
クリスマスが過ぎた今でも、スーパーマーケットで買って食べ続けている。
夕方に一杯飲むコーヒーと共に
このピスタチオのをひとつだけ食べるのだ。
チョコレートといっても、どちらかというとホワイトチョコレート寄りの味で
まろやかでコクがあり、ピスタチオのいい味がする。
欲を言えばもうすこしピスタチオ味が濃ければ最高だが、
現在、これで満足。

このトゥロンの会社であるVicensヴィセンスは
なんと1775年からの創業だそうだ。
この会社のホームページを見ると
スペインの有名シェフと企画した商品もある。
さくらんぼのトゥロン!おいしそうだ。
本社はカタルーニャ州のLleidaリェイダにあり、
ホームページの情報によるとトゥロンのミュージアムもあるとのこと。

以前はあまり好きではなかったトゥロンだけれど
その種類の豊富さに目がいき、驚き、ピスタチオではまってしまった。
ぜひ、お試しあれ。

思い出したこと

おそらくもう、十数年も前のことだ。
デザイン事務所を辞めて、その後をどうしようか考えていた時に
知り合いの衣装デザイナーさんが声をかけてくれたのだ。
良かったら少し手伝ってもらえるかしら?
そんな感じだった。

お店の名前は「Gréグレ」
確か、私の好きなもの。という意味だった。
そう言っていたように思う。

そのお店には、彼女がデザインをした洋服が部屋の半分の場所に飾られ
その残りの半分には、美しい骨董品や日本の版画、雑貨などが並べられていた。
美しい骨董品の数々は彼女がオークションで買ったものだった。
机やテーブル、椅子、人形やアクセサリーなどもあった。
その中でもとりわけ美を放っていたのがエミールガレのランプだった。
朝日がのぼってくるようなその自然の光を表現しているもので
神秘な空気に包まれたように、そのあかりを見ていた。

彼女の洋服はとても不思議で
着物のようだけれど洋風のようでもあり
痩せていても、そうでなくても
大抵の人が美しく纏えるものなのだ。
彼女が使う布は、光の加減で変化する。
なぜなら、縦糸と横糸の色を微妙に変えて織られているものだから。

彼女の洋服のファンは結構多く
ファンの人がお友達を引き連れて数人でお店にやって来ると
好きな服を代わる代わるに着て
ワイワイとみんな笑顔で試着しては鏡の前に立ち
次は私よ。と
女子校のような賑やかさになるのだ。
ほぼファッションショーのような感じなのだ。

そんなことを今日、思い出していた。
なんとも贅沢な時間だった。
たくさんいろんなことを話したし、教えてもらった。

数年前に彼女は亡くなってしまったけれど
想い出は私の中にたくさんある。
楽しくて、笑える話がたくさんある。
ほんとうに、たくさん。
そうして、ときどき思い出しては笑ってしまうのだ。