どれだけの違う顔があるんだろう

夏がはじまるちょっと前あたりから
月に一度の骨董市が以前と同じように定期的に行われるようになった。
今も感染者が少しずつ増え始めてはいるものの
行われている。
もちろん出入り口で参加者の住所、氏名を書いたり、手の消毒、検温は欠かせない。

さてさて、骨董市でいつも不思議だなと思うことがある。
それは、モノとの出会いだ。
同じところを探しているのに、あの人とこの人の探すもの、見ているもの、出会うものが本当に違うのだ。
それが、すごく面白いと思う。
人それぞれが違う顔を持っていると同じように
探し出すものが違うのだ。
出会い、運、縁、そんなことなんだと思う。

これ、すっごく素敵だけれど、値段が高いし、もし後でもう一度行って残っていたら買おうかな。
なんて思うことがある。
一回りして行った時には、残念なことにどこかのだれかが買ってしまった。
あぁ、なんであの時買わなかったのだろう。と思うのだ。
そして、いったん落ち込んで、悔しくなったりするのだけれど
そんな時はこんな風に思うようにしている。
私には縁がなかったモノなのだ。と
そう思うと、やさしい風が心の中のモヤモヤと一緒にスゥっとどこかに行ってくれるのだ。

ここ最近、私の大好きなお店で出会う若いカップルがいる。
二人とも、とてもセンスのいい素敵な装いでやってくるのだ。
彼らが探し出すものは、横目でチラリと見ると、あら素敵!と思うようなものばかり。
私もちょっと前にその辺りを見たはずなのに、
私には探せなかった。悔しいのだけれど
彼らなら、きっとそれらを生かす力があるのだろう。
骨董の女神がついているのだろうなぁ。と思うくらい
憧れの人たちだ。

この間は、今日こそは買おうと思っていたお皿があった。
大皿というよりは少し小ぶりだけれど
食べ物を入れた時にデザインがとっても映えそうで
毎回みるたびに気になっていたのだけれど
私的にはちょっと高いかなぁと思っていたお皿なのだ。
でも、今日こそは買おう!
ここだ、ここだ。これこれ。
いちおう夫に相談し、欲しいなら買うべきだとのことで
もう一度、店主に値段を確認してみると、、、
なんと、店主は先月より半額の値段を言うではないか。
あまりに嬉しくてニンマリとしながら、即決で買ったのであった。
こんな幸運なこともあるのだ。

骨董市は小宇宙だなぁ。そう思ったのである。